秀才のアホボン VS 貴族のバカさま

 希望の党民主党がくっついたらしい。この時期に何のために、とか、自分たちが言ってた「せいじしんじょう」はどうしたのだろうとか、色々考えていく内に、今の野党若手議員には「秀才のアホボン」という言葉がぴったりだと思った。彼らは高学歴、清潔感、少し高い顔面偏差値を武器に選挙を勝ち抜いてきた「秀才」である。ただ、「お勉強」は出来たかもしれないが「政治」についてはいつまでもずぶの「素人」である。

 日本では学生のうちに「政治」を勉強する機会がない。「政治学」という学問はあっても、「政治」とは「権力」であり、権力を得て、掌握するための方法を勉強する機会は少ないはずだ。こういった学問やストラテジーは、アメリカや中国では、上から下まで盛んに研究されてきたが、日本ではあまり、発展しなかった。言うまでもなく「支配」の研究なんてものは、必要なかったからだ。

 民衆にとって、全ては「おかみ」が決めることであり、「おかみ」に取って代わって、誰かを「支配」しようなんていう「だいそれたこと」は起こらず、下から上への「政治」運動が起こることは稀だった。さらに言えば「おかみ」も「よきにはからえ」をもって常とし、ゆるい「支配」の「被支配」体制が最上とされていた。「政治」とは誰か(あるいはその階層の人々)が、何か(基本的には階級間闘争)を恣意的に動かしたいと思った時に必要なものであり、現状を維持するための「巧言」や「儀礼」「空気を読む力」を必要とする小さな権力闘争は大きな意味での「政治」とは言えない。


 もう一つ、昨今の安倍ちゃんと愉快な仲間たちのお粗末な騒動を見るに、ああこの人達は「貴族のバカさま」だなと感じた。言うまでもないことだが、今話題の安倍晋三氏は、古くは平安時代にまで遡る政治の血筋、麻生太郎氏も先祖代々政治家で、両者とも政財界は親戚だらけだ。
 また、本来世襲等ありえない官僚たちだが、「伏魔殿」とまで言われた外務省とまではいかないものの、財務官僚の「門閥化」も進行しているようだ。(ちょっと考えれば分かることで、高級官僚になるためには「人脈」や「ノウハウ」「高い教育費」が必要になる。世襲とまではいかないが、前任者の意を受けたものが後任者になる禅譲が「門閥政治」を強固にしていく。さらに言えば財務事務次官や理財局長は、世が世なら従五位下以上の「殿上人」であり、貴族でなければなれないポジションであった。まともな頭脳、人脈、感覚、ノウハウでは務まらない、政治家よりもよほどなることが難しい職種である)

 優秀な貴族たちの寡占は、日本では永代に渡って続いてきた伝統であり、「noblesse oblige」が機能しているうちは、民衆は余計なことを考えなくて良いので、効率的な政治機構になる。だが、「貴族の貴さ」を履き違え、「特異な価値観」の行使が目立つようになってくると「(大体三代目くらいの、創業の苦労を知らない)バカさま」による「間違った貴族制」が出来てしまう。その弊害が今、目立ち始めているように思う。


 さて、『お勉強はできるけど「政治」のわからない僕ちゃん』と、『政治のノウハウはあるけど、不正もお構いなしのバカさま』どちらを選ぶか。ただまあ、日本人、何をつけても権威主義なので「お殿様」から「大統領」までそういった偉いお人が大好きだ。そう考えれば、「バカさま」が政治を司っているのもうなずけるかもしれない。そう考えると、野党議員に言えることは、自分が、上述の貴族たちと、間違っても対等な立場じゃないことを認識しなければ、政権を取るどころか、国民に支持を得ることさえ難しいかもしれない。